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【アーカイブ】丸山陽君の個展によせて

丸山 陽 個展・ブックレット表紙
丸山 陽 個展・ブックレット表紙

当時を振り返って

 1977年であるが、生徒さんの中井セツ子さん(中井さんは公募団体展“純展”の幹部でもあり今尚活躍中である)から御依頼で丸山陽さんという方の個展の紹介文を書いてくれないかという事があった。

丸山陽さんは笠原先生のご指導のもと、重い障害と向き合いながらの初個展であった。

その時の文章である。

当時の自分の考え方が反映されていると思う。

丸山陽君の個展によせて

「 この度、初の個展をする丸山君の作品を見た。それは、私にとって、いろいろな事を再認識させる契機となった。

 普通、作品を鑑賞する際、私は、作者の言葉や評論を問題にする事は無い。基本的に、作品の説明や背景を考慮に入れたりはしない。――絵は読めるものだからだ。作品それ自体が、総てを語り得るはずだし、すでに語っていなければならない。

 この一文を書くにあたり、作品の写真は見たのだが、ともかく実際に、丸山陽君の原画と、その周辺作品を見てみようと思った。

 

 彼の部屋でたくさんの絵を見せてもらった。御両親の深い理解の下、笠原先生の熱心な御指導に依って、彼がキャンバスや紙に向かい、形を捉え、絵の具を塗り絵という表現を自分自身のありかとして、多くの作品を描くに至った事は、すでに賞賛に値する。

 

 次々と、分類された作品を見つつ、私には、――概して、しっかり、その様に(つまり絵画らしく)描かれた作品群よりも完成度は低くても、説明性に囚われず、むしろ一気に確信をもって描かれた作品達の方が、彼の場合、常に、常に良いように思われた。質のバラつきが見受けられた。

 

 しかし、その中の数枚の絵には間違いなく個性が感じられ、完成度があり、何か確かに響くものを持っていた。その中で、一枚、心象風景とでも呼べるものがあった。

 海と空であろうか。決して明るい絵ではない。むしろ暗いが、ドスンといきなり直感に訴えかけて来たのだ。

 激しい。・・・静けさがあり、拡がりと想いの集中が同時に存在していた。一呼吸の間、私は、これを描いたのが子供である事、しかも障害をもつ一人の少年である事を忘れていた。ぶっきら棒な絵だ。なぐり描きのようなドローイングが、渋く陰鬱とも呼べる深い色調の画面全体を波立たせている。

たったそれだけの絵だ。

 ゆっくりと激しい濃密さが、遠雷の様に、気配として空間を支配していた。描くべきもの以外に何一つ描かれていない。

 私は、その時、丸山陽の世界を了解していた。

 

 元来、作品とは、その様なものなのだ。作品を創るとは、ある意味で、自分自身の裡なるものと同一化し、無心の裸形になるまで、よけいなものを捨て果てる事を意味する。

 さらに踏み込んで云えば、それは容易な(詩的なるもの)(絵画的なるもの)の説明性を不断にたたき壊していく事を意味するのだ。良い作家・・・彼等は、修練の果てに、例外なくその枝を切り捨てていくプロセスをとっている。決して創り上げていくのではない。常に、自分自身を裸形にしていくのだ。この最後のプロセスのキシミの中に詩は存在する事を知っているからだろう。

 

 丸山陽君のその絵によって、私は、この事を再認識させられた。本当に美しいその小さな絵も、きっと私自身の心のどこかで明滅し続ける事であろう。そう予感した。

 作家・丸山陽君のさらなる羽ばたきを期待して止まない。

 

1977年6月24日 原大介」